アイティメディアとインプレスの決算に見る、広告ビジネスとターゲティングビジネス

2009年6月29日

6月20日土曜日、僕はアイティメディアの株主総会に出席していました。また、同じ日には、同じくIT系のメディア企業としてImpress Watchなどを運営するインプレスの株主総会も行われていました。

伝統的な新聞社や雑誌社はネットに押されて売上げが落ち、不振にあえいでいる、という報道を最近は多く見かけます。ではオンラインメディア企業として国内を代表するといってもいい両社の決算はどうだったのでしょうか? ここではアイティメディアとインプレスのオンラインメディア事業について、昨年度の決算資料などを基に見ていこうと思います。

本文を始める前に、僕がアイティメディアの株主であることを明らかにしておかなければなりません。しかも僕は、昨年3月末まで同社で最大の事業部の事業部長兼執行役員で、かつアイティメディアの前身であるソフトバンク・アイティメディアと合併したアットマーク・アイティを起業した一人でした。現在は退社して独立した身ですが、相当の利害関係者であることを先にお断りしておきます。

今回のエントリの主な情報源は以下です。

ただしインプレスの決算は紙の出版事業とオンラインメディア事業が統合されているため、分かる範囲でオンラインメディア事業のみの数字を取り上げています。

昨年度との対比、両社ともややマイナス

まず、両社の昨年度の売上高を比較してみましょう(経常利益については今回は触れません)。

アイティメディア

  • 売上高  30億9400万円(前年比 -9.8%)

インプレス(「デジタルメディア事業」の数字)

  • 売上高  14億5300万円(前年比 -15.5%)

これを見るとインプレスのほうが売上げの落ち込みが大きいようにみえますが、インプレスは昨年度に映像メディア事業から撤退しており(恐らく2008年9月末に休止したimpressTVのこと)、その事業の影響を除くと4%の減少である、という説明が決算説明会にて行われています。

両社ともにこの事業の収入の柱はバナーなどの広告収入です。しかしオンラインの広告も昨年下半期からの世界的な不況の影響を受けて、単価、出稿量ともに下落しているのは明らかで、両社ともその影響を受けざるを得なかった、というのが現実でしょう。

インプレスの関本彰大社長は「従来は前年15%か20%伸びていた分野で、デジタルメディアを始めてから初の減収」と事業説明会で話していました。アイティメディアにとっても同様で、これだけの減収は初めての経験のはずです。

どの部分の売上げが減ったのか? 答え、ほとんど全部の広告

インプレスはデジタルメディア事業分野の詳しい内訳は公開していないようですが、アイティメディアはさらに細かいセグメントごとの情報を公開しているので、どこで売上げが下がったのか、もう少し詳しく見ることにしましょう。

下記のグラフは、アイティメディアの事業セグメント別、売上げ構成比のグラフです。事業部名ごとに分けられていますが、読者には事業部名よりもメディアの名称のほうが分かりやすいと思うので、主なメディアの名称をグラフに追加しました。

fig アイティメディアの事業セグメント別 売上げ構成比。同社の「2009年3月期 通期決算説明会」資料から加工のうえ引用

アイティメディアの売上げ構成比では、いちばん大きいのがテクノロジー・メディア事業部(@IT)、次がライフスタイル・メディア事業部(ITmedia +D)、3番目がエンタープライズ・メディア事業部(ITmediaエンタープライズ)、4番目がビジネス・メディア事業部(ITmedia News/ビジネスメディア誠)といった順番になります。

そして昨年度の比率と今年度の比率を比べてみると、エンタープライズ・メディア事業部、ビジネス・メディア事業部、人財メディア事業部が比率を落としていることが分かります。ということは、これらが主に売上げの減少要因といえます(セグメントごとの売上げの数字も資料として公開されていますので、それで確認できます)。

ただし、ITmedia +DとBARKSを抱えるライフスタイル・メディア事業部は、ITmedia +Dは減収で、実は一昨年度に買収したBARKSが昨年度まるまる上乗せになり好調でもあった結果、全体で前年比プラスになったとされています。また、構成比としては上昇しているテクノロジー・メディア事業部も売上げの前年比ではややマイナスで、決して成長できたわけではありません。

こうしてざっくり見ると、企業向けの広告を主な収入源とするテクノロジー・メディア事業部とエンタープライズ・メディア事業部、そしてコンシューマ向けの広告を主な収入源とするライフスタイル・メディア事業部とビジネス・メディア事業部、そして転職関係の広告を主な収入源とする人財メディア事業部と、どの事業セグメントでもまんべんなく苦戦した、というのが昨年のおおまかな状況のようです。

インプレスに目を向けてみると、同社がアイティメディアと大きく違っていると僕が思う点は、オンラインメディア事業のほとんどを、Watchシリーズというコンシューマ向けのメディアに依存している点です(エンタープライズWatchや、ThinkITのように企業向けを意識したメディアもありますが、アイティメディアのそれと比較できるような割合ではないはずです)。

その点で、同社の状況は恐らくアイティメディアのコンシューマー向けメディアであるITmedia +Dの状況に近いと思われます。ITmedia +Dが単独では減収になったのと、インプレスのデジタルメディア事業が減収になった主要因にそれほど違いはないはずで、やはりコンシューマー向けのメディアに出稿するクライアント、例えば携帯電話会社やPCメーカーや電子機器メーカーなどの広告出稿が低調だったからと思われます。

アイティメディアの大槻利樹社長は、NTT、キヤノン、パナソニック、日立製作所、三菱電機など、多くのIT系企業が減収減益であったことが、同社が苦戦した外的要因の1つを示していると株主総会後の事業説明会で説明しています。

伸びているセグメントはターゲティング分野

一方で、アイティメディアのセグメント別のグラフを見ると、この逆風の中で成長しているのがターゲティング・メディア事業部です。売上げでは前年比+27.1%となっています。

ターゲティングは、いま多くのメディア企業が注目するキーワードになっています。広い意味でのターゲティングされたメディアとは「特定の傾向をはっきりと持つ読者が集まるメディア」でした。

しかし、いま注目されているターゲティングはもっと狭い意味で、それは読者一人一人のプロファイルをメディア企業が持ち、プロファイルによってターゲティングを実現するという、プロファイル型のターゲティングメディアです。プロファイルには、氏名、所属先、連絡先はもとより、社内での決裁権やスキル、興味の対象といった細かい情報が含まれるのが一般的であり、それが精緻で、また収入が多かったり肩書きが管理職以上など、個人や企業の購買行動に結びつきやすい人のプロファイルが多いほど、ビジネス上有利です。

メディア企業はその読者プロファイルを基に、読者に合った記事を提供したり、読者にあった広告を見てもらったり、またクライアント企業の商品に興味を持ちそうな読者のリストを(読者の合意の上で)企業に提供する、といったビジネスモデルによって売上げを上げていきます。

TechTargetジャパン

アイティメディアでは米国のIT分野でのターゲティングメディアとして成功しているTechTarget社と提携したTechTargetジャパンを立ち上げて、このターゲティングメディアに参入しています。TechTargetジャパンでは、いくつかの記事やホワイトペーパーを読むためにプロファイルを登録する必要があります。こうして読者プロファイルを集めてターゲティングモデルのビジネスを進めています。

アイティメディアは、今年度以降もさらにターゲティングに全社的に注力し、成長を目指すとしています。

インプレスもターゲティング分野に進出

ここまで両社の決算を見てきましたが、短くまとめると、従来型のネット広告は不振でした、唯一成長したのはターゲティング分野で、そこは有望なので注力します。ということです。

インプレスも今年度はターゲティングメディアを強化事業として注力することを明言しています。アイティメディアがオンラインメディアとしてTechTargetジャパンを展開しているのとは対照的に、同社のターゲティングメディアはまず紙ベースで進んでいます。

IT分野では昨年度から雑誌「IT Leaders」を発刊。書店では売らず、読者へ宅配するコントロールド・サーキュレーション方式で読者プロファイルを拡充しています。また、エレクトロニクス分野でも同じくコントロールド・サーキュレーション方式で雑誌「EE Times」を発行、今年度から「東京IT新聞」もインプレス・グループに加わり、これもターゲティングメディアとして展開するとのこと(医療分野でも展開しているのですが割愛します)。

さらに全社的に製品データベース、ユーザープロファイルデータベースを統合して、それを核にしたITプロフェッショナル向けのターゲットメディア・サービスを開発すると、事業方針説明会で明らかにしています。

なぜターゲティング分野が熱いのか、2つの理由

なぜアイティメディアのターゲティング・メディア事業部はこの逆風の中でも成長し、またインプレスもアイティメディアも今後の注力分野にターゲティング分野を選ぶのでしょうか?

2つの理由が挙げられます(以下はアイティメディアやインプレスの戦略ではなく、一般的なプロファイル型ターゲティングについての僕なりの説明です)。

1つはより広告効果が高いためです。読者のプロファイルごとに適切な記事や広告を見せることで、より高い広告効果を実現できます。あるいは、特定のプロファイルの読者だけに広告を表示したり、ダイレクトメールを打つことで、広告クライアントはより無駄のない広告予算の使い方が可能になります。またメディアは、広告クライアントに対して「このような読者が広告を見ています」とはっきりと説明できるようになり、クリックされなくとも認知効果をアピールすることが容易になります(特に、そもそもクリックできない紙の雑誌では効果的なアピール方法といえます)。

そして2つめの理由、こちらのほうがより重要なのですが、それはプロファイル型のターゲティングメディアでは、広告費ではなく、クライアント企業の販売促進費から売上げを上げることができるためです。

クライアント企業の多くは広告費とは別に販売促進費の予算を持っています。この販売促進費は営業活動に直結する予算であり、例えば見込み客(「リード」や「プロスペクト」と呼ばれます)の獲得のために使われます。

そのため、ターゲティングメディアによって獲得した読者プロファイルの中からクライアント企業に合った見込み客を選び、リストを提供することができれば、クライアント企業の広告費ではなく販売促進費から売上げを上げることができるのです。

そしていま多くのクライアント企業は、売上げに結びつくかどうか効果が分かりにくい広告費ではなく、より売上げに結びつく販売促進費へと予算をシフトする傾向にあります。僕も事業部長時代に、ある大手ハードウェアベンダの重役から「今後はリードに結びつくマーケティング活動にしか予算を割かない」と言われたことがあります。

少なくともいま広告を出している大手企業の傾向として、広告費の大きな伸びは期待できなくなってきています。そのため今後さらに多くのメディア企業が、販売促進費に結びつくターゲティング分野へ注力することになるでしょう。

従来型のメディアもまだまだ成長できるはず

すっかり長文のエントリになってしまいました。まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、いったんこの辺で区切りを付けたいと思います。

いくつか書き残したことを手短にまとめると、販売促進費が伸長する一方で、それによって広告市場が縮小するとは思いません。というのも、ある企業が見込み客のリストを入手して、見込み客にコンタクトしたとしても、受け手側にとって知らない企業から連絡が来るのはスパムでしかありません。スパムだと思われないために事前に企業や製品やブランドの認知と興味を持ってもらうことは不可欠で、それは従来の広告的なものによって先行して行われなければならないはずです。従来型の広告ビジネスとプロファイル型のターゲティングビジネスは依存関係、共存共栄モデルではないかと思います(あるいはプロファイル型ターゲティングをうまく実行できるメディアに従来型広告が集まるかもしれません)。

だとすれば、従来型のメディアもまだまだ成長余地があるはずです。ただし広告効果の競争は続くため、メディアの広い意味でのターゲティングは今後もカギになるでしょう。

それから企業が運営するメディアにとって、例えば僕のような個人が運営するメディアや、TechCrunchやGizmodoのような小さな組織によって運営されるメディアも今後は競争相手になるはずです。これらの小さなメディアは低コストで運営できることが最大の武器で、それらと競合することになる企業にとっても、今後はいかに低コストでメディアを開発、運営できるかは大きな課題になってくると僕は考えています。

と同時に、それらを競争相手にせず、いかに協力していくかもメディア企業にとって重要な戦略だと思うのですが、これについてはこのPublickeyで目指していることとも重なってくるので、いずれ別の機会に書くつもりです。ではまた。

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Junichi Niino(jniino)
IT系の雑誌編集者、オンラインメディア発行人を経て独立。2009年にPublickeyを開始しました。
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